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我が国メディアに期待すること 

  昨日は安倍元首相の「国葬儀」が行われました。テレビも新聞も殆どのメディアはその「国葬儀」の様子を伝えながら、国論を二分した「国葬儀」の意味をどこに求めるのか控えめに報じていましが、核心に迫る報道は殆どなかったように思います。実は、筆者はテレビや新聞をさほど見たり読んだりしていたわけではありませんので、認識が誤っているのかもしれませんし、もしそうであれば結構なことなのですが。  核心とは、つまり保守本流を標榜している自由民主党総裁として安倍元首相が何を成したのかということです。では「保守」とは何か、東京工業大学教授の中島岳志氏は次のように述べておられます。「保守とは、イギリスの政治家エドマンド・パークのフランス革命批判を嚆矢とする思想で、設計的に社会を改造しようとする進歩主義への懐疑を共有する。保守思想家たちは、理性に対する過信を諫め、急進的な改革主義に待ったをかけてきた。革新は歴史の風雪に耐えて残ってきた良識や経験値に基づいて斬新的に進めるべきであり、『その国独自の歴史的伝統や慣習の保持、人々の生活に根付いた文化や宗教的意識の継続性』を大切にしなければならないと説いてきた。」(東京新聞2022年9月27日夕刊)  安倍元首相は、実に多くのことを仕掛けてこられましたが、その結末がどうであったか、筆者には、保守政治家を標榜なさりつつもこれまでにないほど米国との距離を縮め米国の従者のごとき国家像を追求されていたように見えます。  更には、今年7月8日に安倍元首相が凶弾に倒れてから急に表面化した韓国旧統一教会と日本の政治家とのかかわり合いがあります。自由民主党国会議員の半数近くが濃淡の違いはあるにせよなにがしかの形で旧統一教会とのかかわりを持ったとされています。これにより、旧統一教会による日本政治への関与が懸念され、此処にも自由民主党の本来的な意味における「保守性」が維持されていたのかどうかという疑念が湧いてきます。又、その教祖の発言を記録したといわれる分厚い書物には「日本人は韓国に貢ぐべし」といった主旨の記述もあるといわれています。日本人が”寄付金”として貢いだ額は莫大な額に上り、メディアでは専ら過去の寄付金を募る方法が霊感商法にあったとする点に集中しています。 無論、霊感商法の”被害者”の方々は本当のお気の毒なことだったと思いますが、我が国メディアには同協会と日本政

シリコンバレー詣での他には?

  「米シリコンバレーに今後 5 年で起業家 1000 人規模派遣へ 経産省」の文字が幾つかの大手ネットメディアで踊ります。例えば、 7月28日付日本経済新聞電子版 には 、「訪米中の萩生田光一経済産業相は 27 日(日本時間 28 日)、米シリコンバレーでグーグル本社などを視察し、『えりすぐりの挑戦者をシリコンバレーに派遣するプロジェクトを抜本的に拡充する。』と表明した。現在の年 20 人規模から 10 倍にし、 5 年で計 1000 人をめざす。」とありました。 この萩生田大臣(当時)の発言は、 2015 年4月30日 - 5月1日にシリコンバレーを訪れた安倍首相(当時)が同地で述べた 「シリコンバレーと日本の架け橋プロジェクト 」 を更に前進させるものなのでしょう。 シリコンバレーに日本の起業家や中小企業人を送り込むという話はそれなりに衝撃的な内容であるためその都度比較的大きな話題になります。  しかしどうでしょうか。我が国では随分前からシリコンバレーへ人を送ってきており(主に大企業からの派遣だと思いますが)、すでに同地のカルチャーや企業手法とそのスピード感を知る人材は我が国にも多く存在していると思います。政府主導の国家プロジェクトとして1000人規模で人をシリコンバレーへ送ることに反対するつもりはありませんが、ぼつぼつ工夫が必要なのではないかと思います。例えば、派遣するならシリコンバレーだけではなく、イスラエルやフィンランドなどのベンチャー企業を多く生み出す国々を知る人材を増やすことも重要でしょう。又、単なる派遣だけではなく、日本で起業家が育つ環境づくりや支援方法を構築する必要も あるでしょう。併せて、最近減少傾向にある海外留学生を増やすことも早急に手を打つべきだと思います。   シリコンバレーというとすぐベンチャー企業、起業家という話になりがちですが、我が国の在来中小企業の中には欧米をしのぐ実力で高品質のものを素早く製造する企業も多くあります。しかし最近は、急激な原材料価格の高騰、資金繰り問題、後継者問題など様々な理由で事業撤退あるいは海外企業へ事業を売却するなどのケースが散見され誠に残念に思います。これらの企業を支援しつつ彼らが築き上げた優れた技術を更に磨き上げ永続できるような支援もあってよいのではないかと思います。例えば、下請的地位からの脱却を図る自立

コストを消費者に転嫁する動きジワリ - 金融業もか!?

   長引くコロナ禍も今年2022年1月をもって3年目を迎えた。この間、コロナ禍の拡大を抑えるために厳しい行動制限がなされて経済活動が停滞し、感染者数が急減すると行動抑制が解かれて経済活動が活発になるということが繰り返され、最近ではコロナ禍と経済活動は共存することが当然であるという議論が増えてきた。現在、日本ではオミクロン株と称するコロナウィルスによる感染が急増、六度目の山を迎えつつあるが、感染力は強くとも感染者の重篤化は従来株に比べて少ないとか。   ところで、前回第五波の頃から我が国でも「With Corona」という言葉で象徴されるように、コロナ禍の中でも可能な限り経済活動が出来るようにしようという発言が目立つようになってきた。そのこと自体にあまり異論はない。問題は、欧米が先駆けて経済活動を再開する方向へ大きくかじ取りを始めたことにより、資材や商品を運搬するコンテナが不足、建築資材の値上がり、石油価格の上昇、小麦粉をはじめとする食料の原料価格の上昇と(小麦の値上がりは原因はコンテナ不足だけではなさそうだが)等多くのものが値上がり傾向になり、米国ではインフレ懸念からFRBが金融引き締め方向に動くとの報道もされるようになってきた。   我が国においてもその影響は大きく、いろいろなものがジリジリと値上がりし始めている。製造メーカとしては、原材料価格の上昇を吸収しきれなくなれば値上げせざるを得ないだろうということは理解できる範囲の話だ。 しかし次の記事を見て驚いた。 2022年1月15日付東京新聞朝刊     この記事を読んでいて何とも言えない違和感を覚えたのは筆者だけだろうか。通貨を取り扱うことを生業とする金融機関がその通貨を数えることにかかるコストを顧客側に転嫁するという話である。この記事によれば「法律によって一度に使える硬貨は一種類につき二十枚までと決められている」とある。通常の市中における商品の売買においては已むをえないことだと思うが、金融機関には硬貨を数える機械もあるだろうしその機械の保守費用も金融業を営むコストのはずだ。この記事を読むと機械の故障修理、機械の買い替えなどのコストがばかにならないということのようだが、なぜ今このようなことを持ち出すのだろうかと不思議に思う。機械の故障率が急に上がったのか、否、機械の価格が急騰したのか。 よく分からないことである