少し古い話になるが、6月15日付けのThe Street.Comのサイト, News & Analysis:Technology欄にIvy Lessnerというレポーターが書いている”Microsoft Enlists Allies for Apple Fight”というタイトルの記事を大変興味深く読んだ。
この記事を読んでいて、1980年代初頭に、だるま型のデスクトップコンピュータ、マッキントッシュ(日本で通称ダイナマック)が日本市場に投入された時のことを思い出した。 当時のパソコンの標準はIBM主導で、7インチ・5インチの磁気ディスクを使いながら、画面上で奇妙な文字列をいじくりまわさなければパソコンを操れない状況であった。 そこへ、ダイナマックがアイコンを使って登場、その操作性の良さ、発想の斬新さに度肝を抜かれた。 その間、ソフトも大分進化し、基本的な対立構造は、IBM PC対アップル、マイクロソフトも当初はMulti-Plan(Exellの前身、方やIBMはLotus1-2-3)などを含めてMac対応を優先していたような気がする。 爾来、どのPCでもアイコンが標準となり、今日に至っているが、当初から人間とのインターフェースの良さを最優先にしたMacの使い勝手の良さは、後付で無理やりソフのトコードをアイコン化したPCを寄せ付けないものがあったように思う。
私自身も、ダイナマックが日本市場に出現した折、直ぐに飛びつき、Macinntosh Plus、SEなどと立て続けに購入し、90年代半ば位までMac一辺倒であった。 然しながら90年代半ば頃、まさかアップル内のごたごたが、製品のつくりにも反映された訳ではあるまいが、Macユーザは頻繁にその画面上にダイナマックならぬダイナマイトの絵(Macの動作が固まってしまう、所謂フリーズ状態)を見ることになる。 この時点で、歴史的なWindows95の登場などにより、マックの優位性が薄れていった時代が暫し続いたのは、未だ記憶に新しい。 個人的なことだが、私自身も職場がIBMのパソコンを使っていたことや、ダイナマイトを見せられる事に聊かうんざりしていた事などもあり、マックからPCへの乗換えを決めた。
前置きが長くなったが、アイコンを使った操作性の良いソフトと、チョットかわいく親近感を覚えるハードウェアにより、パソコンに対する概念をひっくり返した当時のアップルが、30年近く経過した今、再び、主導権を取ろうと、大きな手を打ってきた事に動揺するPC連合を、マイクロソフトが再糾合しようとしている今回の構図のように見える。 追われる立場のマイクロソフトには、やや焦りが有るようにもみえる。 上述した様に、私はマックを離れて12-13年になるので、最近のマックの使い勝手の良さを体験として持ち合わせず、”Safari”などの素晴らしさも理解していないので、余りアップルを語る資格はないが、今回のアップルが仕掛けた戦略は、iPhoneという超小型ポケット型パソコンを市場投入しつつ、ブラウザはWindowsユーザでも自由に使えるようにするという、俗な表現だが、iPhoneをもって城の外で攻撃を仕掛けながら、ブラウザで場内本丸への進路を確保しつつあるような戦国絵図のようにも見える。
繰り返しになるが、伝えられているところの、iPhoneは、本格的な携帯型ポケットパソコン(パソコン基本機能、無線LANアクセスを含むネットワークへのアクセス機能、携帯電話機能、メディアプレーヤ機能)を有しているようなので、競合PC他社は暫し追いつけないのではないかと思われる。 ここでアップルもWindows同様に、そのOSのインターフェースを開示すれば、更に大きなインパクトを市場に与える筈だがそれをしない理由は何か。 一つには、アップルは既に電話領域にまで踏み込み、電話の屋内・屋外の壁を一気に取り払い、パソコンの基本機能を搭載し、メディアプレーヤー機能も載せて、映像も写し、謂わば予てより言われている、いろいろな意味合いに於ける、”コンバージェンス”を既にかなり実現しつつあるiPhone、これを継続的に進化させてゆく海図を持って自らの主導でOSのみならずアプリケーションの基本部分までも、開発を制御しようとしている、そして二つには、その海図通りに進む為にも、海(市場)を穏やかにアップル号の進むとおりの海路を確保する為に、大多数を占めるWindowsユーザを引き込む手段としてWindowsとの整合性を無償で供与したという事ではないかと思われる。
では、そのアップル海図上の新天地は何か・・・現在透視しうる範囲、即ち、(1)声・データ・映像の統合、(2)固定電話・携帯電話・ネット電話の統合、(3)通信・放送の統合、(4)アプリケーション・コンテンツへのアクセス或いは統合、といった視点から考えて見ると、(1)、(2)、(3)は、未完成ながらほぼ道筋はついたと思われる。 後は(4)をどうするかということだろう。 Googleが狙うサーバーベースのアプリケーションの提供まで、アップルが踏み込むのか疑問はあるが、この辺りのことを考慮すると、おいそれとはOSのインターフェースをオープンにする事はやりたくないのかもしれない。
私個人は、アップルの取る閉鎖的なOSアプローチは、情報通信の将来を考えるときに、正しいアプローチとは思えないが、ハードとソフトの双方を自らの支配下に置く、それも時代をリードするハードとソフト、iTunesのようなビジネスもモデルで時代をリードしている、アップルに当面分がありそうな感じがする。 マイクロソフトも、従来型のOSではなく、相当思い切った操作性の良いOSを開発していると思われるが、アップルに仕掛けられた今回のゲームは、面と時間を買うべくPCメーカとの連合を組まざるを得ないほど、追い込まれている事には違いは無い。
今回のアップルのようにWindows とのインターフェースを、相手陣地内で与えるという、謂わば、開放戦略との合わせ技の如き戦略の行方を見守るのは、わくわくするほど面白い。
この文章の草稿を書き終わった直後に、6月29日(日本時間6月30日)iPhoneが発売された。 発売日前後の種々メディアの報道が又面白い。 次回のブログではiPhoneの凄さをもう少し掘り下げてみたい。
平成19年7月4日
この記事を読んでいて、1980年代初頭に、だるま型のデスクトップコンピュータ、マッキントッシュ(日本で通称ダイナマック)が日本市場に投入された時のことを思い出した。 当時のパソコンの標準はIBM主導で、7インチ・5インチの磁気ディスクを使いながら、画面上で奇妙な文字列をいじくりまわさなければパソコンを操れない状況であった。 そこへ、ダイナマックがアイコンを使って登場、その操作性の良さ、発想の斬新さに度肝を抜かれた。 その間、ソフトも大分進化し、基本的な対立構造は、IBM PC対アップル、マイクロソフトも当初はMulti-Plan(Exellの前身、方やIBMはLotus1-2-3)などを含めてMac対応を優先していたような気がする。 爾来、どのPCでもアイコンが標準となり、今日に至っているが、当初から人間とのインターフェースの良さを最優先にしたMacの使い勝手の良さは、後付で無理やりソフのトコードをアイコン化したPCを寄せ付けないものがあったように思う。
私自身も、ダイナマックが日本市場に出現した折、直ぐに飛びつき、Macinntosh Plus、SEなどと立て続けに購入し、90年代半ば位までMac一辺倒であった。 然しながら90年代半ば頃、まさかアップル内のごたごたが、製品のつくりにも反映された訳ではあるまいが、Macユーザは頻繁にその画面上にダイナマックならぬダイナマイトの絵(Macの動作が固まってしまう、所謂フリーズ状態)を見ることになる。 この時点で、歴史的なWindows95の登場などにより、マックの優位性が薄れていった時代が暫し続いたのは、未だ記憶に新しい。 個人的なことだが、私自身も職場がIBMのパソコンを使っていたことや、ダイナマイトを見せられる事に聊かうんざりしていた事などもあり、マックからPCへの乗換えを決めた。
前置きが長くなったが、アイコンを使った操作性の良いソフトと、チョットかわいく親近感を覚えるハードウェアにより、パソコンに対する概念をひっくり返した当時のアップルが、30年近く経過した今、再び、主導権を取ろうと、大きな手を打ってきた事に動揺するPC連合を、マイクロソフトが再糾合しようとしている今回の構図のように見える。 追われる立場のマイクロソフトには、やや焦りが有るようにもみえる。 上述した様に、私はマックを離れて12-13年になるので、最近のマックの使い勝手の良さを体験として持ち合わせず、”Safari”などの素晴らしさも理解していないので、余りアップルを語る資格はないが、今回のアップルが仕掛けた戦略は、iPhoneという超小型ポケット型パソコンを市場投入しつつ、ブラウザはWindowsユーザでも自由に使えるようにするという、俗な表現だが、iPhoneをもって城の外で攻撃を仕掛けながら、ブラウザで場内本丸への進路を確保しつつあるような戦国絵図のようにも見える。
繰り返しになるが、伝えられているところの、iPhoneは、本格的な携帯型ポケットパソコン(パソコン基本機能、無線LANアクセスを含むネットワークへのアクセス機能、携帯電話機能、メディアプレーヤ機能)を有しているようなので、競合PC他社は暫し追いつけないのではないかと思われる。 ここでアップルもWindows同様に、そのOSのインターフェースを開示すれば、更に大きなインパクトを市場に与える筈だがそれをしない理由は何か。 一つには、アップルは既に電話領域にまで踏み込み、電話の屋内・屋外の壁を一気に取り払い、パソコンの基本機能を搭載し、メディアプレーヤー機能も載せて、映像も写し、謂わば予てより言われている、いろいろな意味合いに於ける、”コンバージェンス”を既にかなり実現しつつあるiPhone、これを継続的に進化させてゆく海図を持って自らの主導でOSのみならずアプリケーションの基本部分までも、開発を制御しようとしている、そして二つには、その海図通りに進む為にも、海(市場)を穏やかにアップル号の進むとおりの海路を確保する為に、大多数を占めるWindowsユーザを引き込む手段としてWindowsとの整合性を無償で供与したという事ではないかと思われる。
では、そのアップル海図上の新天地は何か・・・現在透視しうる範囲、即ち、(1)声・データ・映像の統合、(2)固定電話・携帯電話・ネット電話の統合、(3)通信・放送の統合、(4)アプリケーション・コンテンツへのアクセス或いは統合、といった視点から考えて見ると、(1)、(2)、(3)は、未完成ながらほぼ道筋はついたと思われる。 後は(4)をどうするかということだろう。 Googleが狙うサーバーベースのアプリケーションの提供まで、アップルが踏み込むのか疑問はあるが、この辺りのことを考慮すると、おいそれとはOSのインターフェースをオープンにする事はやりたくないのかもしれない。
私個人は、アップルの取る閉鎖的なOSアプローチは、情報通信の将来を考えるときに、正しいアプローチとは思えないが、ハードとソフトの双方を自らの支配下に置く、それも時代をリードするハードとソフト、iTunesのようなビジネスもモデルで時代をリードしている、アップルに当面分がありそうな感じがする。 マイクロソフトも、従来型のOSではなく、相当思い切った操作性の良いOSを開発していると思われるが、アップルに仕掛けられた今回のゲームは、面と時間を買うべくPCメーカとの連合を組まざるを得ないほど、追い込まれている事には違いは無い。
今回のアップルのようにWindows とのインターフェースを、相手陣地内で与えるという、謂わば、開放戦略との合わせ技の如き戦略の行方を見守るのは、わくわくするほど面白い。
この文章の草稿を書き終わった直後に、6月29日(日本時間6月30日)iPhoneが発売された。 発売日前後の種々メディアの報道が又面白い。 次回のブログではiPhoneの凄さをもう少し掘り下げてみたい。
平成19年7月4日
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