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観光立国日本

”観光立国”が我国の一つの方針として掲げられて久しいが、具体的な施策として実現したものにどの様なものが有るのだろうか。 平成15年に日本政府観光局(通称JNTO,正式名称:財団法人国際観光振興機構)そして平成20年に国土交通省観光庁が設けられた。 このような組織の立ち上がりは何時もながら速い。 然しながら、現実には国としてどの様な施策を打ち、其れを実行し、実現しているのか、はなはだ判りにくい。 上述のJNTOは、美しいウェブサイトを多言語で構築し、日々その拡張、更新に努めているように見受けるが、スピード感が今ひとつ。 例えば、同サイトには、動画により日本各地の名勝地を外国語で紹介しているが、未だ日本全国を網羅していると言うには程遠い。

今年1月14日の朝日新聞朝刊に、「観光ニッポンへ注文」と題し、在日外国人三氏が見る現状と提言が掲載されていた。 「アニメ巡礼地めぐり」とか、観光資源の宝庫である日本の田舎をその土地、その地の「地方の演出家」に任せてみてはどうかとか、多くの埋もれている観光資源の中から外国人の琴線に触れる資源を見つけ出す作業が必要ではないかなど、傾聴に値する。 

特に、このお三方の内お二人が、地方のIT活用をもっと活発化するべしと述べていることは、我が意を得たりの感である。  日中コミュニケーション社長の可越女史は、その文中で「・・・宿や食事、サービスも一流ですが、地方のネット環境の悪さは何とかならないでしょうか。 中国のネット利用者は既に4億人を超えていますから。」と、そして、フランス生まれのトレンドコンサルタント、エチェンヌ・バラール氏は、「・・・無線で、しかも無料でネットにつながる拠点を日本のいたるところにつくればいい。 あとは、各地の観光案内所がそれぞれウェッブサイトを作って、多言語による情報を発信し、頻繁に更新する事です。・・・」と。 

「頑張ろう日本!!」である。


1/17/11

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